『博士の愛した数式』(小川洋子/新潮文庫)

新潮文庫

鞭展開度:★★★★☆
愛しき数式:★★★★★
幸いなる日々:★★★★★

【あらすじ】
[ぼくの記憶は80分しかもたない]博士の背広の袖には、そう書かれた古びたメモが留められていた──記憶力を失った博士にとって、私は常に“新しい”家政婦。博士は“初対面”の私に、靴のサイズや誕生日を尋ねた。数字が博士の言葉だった。やがて私の10歳の息子が加わり、ぎこちない日々は驚きと歓びに満ちたものに変わった。あまりに悲しく暖かい、奇跡の愛の物語。第1回本屋大賞受賞。

名作を読んでみよう企画として読んでみました。何だかふと「数学者的な人の頭の中を覗いてみたい」と思いまして(笑)。もちろんフィクションで、作者さんが数学者というワケではないけれど、素敵な疑似体験ができました。

確かに「ぼくの記憶は80分しかもたない」けれど、何もかもがなかったことになるワケではないと信じています。

あと本屋大賞受賞作読んだのこれが初めて……!!!(恥ずかしながら読む段になってこれが初代本屋大賞受賞作だと知りました(笑))

 

以下ネタバレあり↓

 

 

 

 

 

「おお、なかなかこれは、賢い心が詰まっていそうだ」

もうこの一言で心を掴まれた。

主人公の息子の、ルート記号のように平らな頭を撫でてその一言。あぁ、数学とは果てしなくどこまでも合理的で、理屈なのだと想像していたけれど、少なくとも博士にとってはそこに“心”もあるものなんだともうじんとくる。

私にとって、物語がそうであるように。博士は数字や記号の羅列からそうした愛おしさを見出しているのだと。

 

そして博士のそうした愛情深い数学の教えも素敵なことながら、私はそれを受け取る「私」の感性も素晴らしいなと思った。博士とはまた異なる観点であり、そしてなんて美しい感受性で世界を広げているんだろうと。

博士が公園で地面に小枝で書いたたくさんの数式を「数式で編まれたレース模様」と表現していてその美しさにうっとりしたし、博士の問いに自分で答えを出した時に

 自分が迷い込んでいた状況の混沌ぶりに比べ、たどり着いた解決の地の、この清らかさは何なのだろう。まるで荒野の洞窟から、水晶のかけらを掘り出したようではないか。しかも誰一人、水晶を傷つけることも、否定することもできないのだ。

の尊く愛おしいことといったら。

……ちなみにこの後「博士が褒めてくれない分、私は自画自賛してほくそ笑んだ」って続くのもいいwww そこで博士に不満を抱いてむくれるんじゃなくて自分で満足して処理してるの素晴らしいwwww

 

あと、私は文系ながら数学が得意な方だったんだけど、とはいえあくまで文系で求められる範囲まで。博士の数学講座は難しいところも多々あって、きっと私が主人公の立場だったら聞き流してしまうこともあったと思う( ̄▽ ̄;)

けど、この主人公は数学が苦手だったのに博士の話に一生懸命耳を傾けて、しかも博士の問いに家に帰ってもうんうん考えてチラシの裏にいっぱい数字を書き込んで、答えを出そうと奮闘している。私は家政婦をやったことはないけれど、日々働いていて仕事の終わった後にいかにダラダラ過ごしちゃうかは痛感している。その時間を怠惰に消費せず、シングルマザーだから家事や子育てもあって家に帰ってからも忙しいだろうに、数字と向き合う時間を捻出するほどの熱意があるのが本当にすごい。

きっとそう褒めたらこのお母さんはすごいのは博士だと言うんだろうけど、私からすればその輝きに忙しい毎日の中でも手を伸ばそうとするあなたもすごい。きっと彼女にとって、それだけ博士の提示した煌めきはつい手を伸ばしたくなるほどに魅力的な、初めてのものだったのかもしれない。それこそ博士の言っていたように、実生活に役に立たないからこそより一層美しく見えたのかもしれない。

 

さて、そんな主人公と息子のルートの博士への愛情の注ぎ方はこれまたいい。

「ぼくの記憶は80分しかもたない」。それは博士が悪いんじゃない。それでも、ずっと生活を共にしていればうんざりしてしまう人だっていると思う。

でも、この「私」とルートは同じことを何度も説明したり、同じことを何度も聞かされたりしても絶対うんざりしないと固く約束し、またプロ野球選手江夏がもうずっと前に引退してることを博士に知らせて酷くショックを受けさせて以来、そのことは隠し通そうと決めている。

博士を通して、このたった2人の家族は博士に出会う前よりずっとコミュニケーションを取るようになったんじゃないかと思う。家族同士であっても、大事なことは話し合えていないなんてことは珍しくない。それはシングルマザーの家庭じゃなくたって、共に家にいる時間が長くったっていくらでも起こり得る。でもこの2人は、少なくとも博士に関することにおいて、きっとたくさん時間を取って話し合っている。

 

この件において特に好きなのが、ルートと博士しか母屋にいなくて、その間にルートが包丁で手を切ってしまって怪我した時。病院で治療して、主人公とルートと2人の家に帰った後、ルートは泣いた。その理由をこう言った。

「ママが博士を信用しなかったからだよ。博士に僕の世話は任せられないんじゃないかって、少しでも疑ったことが許せないんだ」

……いや10歳とは思えないほど立派な言語化!!!!!!www

すごい、すごいよルート。小学生でそのやるせない気持ちをちゃんと言葉に出してママに説明できるの、なかなかできることじゃない。

 

そしてそんなルートの怒りは続き「ごめんなさい」と彼の前に正座して頭を下げるお母さんもえらい!!!www

「ママが間違っていました。たとえ一瞬でも博士を信用しなかったのは、人として恥ずかしいことでした。謝ります。反省します」

う~んここまで言えるのもすごい‼ww ルートがそれに対して「仲直りしよう」と「でもあの日のことは忘れないからね」って言えるのもすごいのよwww

 

2人がこんな風にコミュニケーションを重ねられているのも子どもに対して愛情深い博士あってだ。

博士のルートに対する接し方がこれまたいいんだよな~! もしかしたら過保護なのかもしれないけれど、そのくらい甘やかしてくれる存在がいるのはルートにとっても、そして主人公にとってもいいことだったんだと思う。お母さんうれしそうだったもん✨T ^ T✨

そして80分経ってその記憶がまたリセットされても、初めましてからルートに惜しみなく注がれる愛情は何ひとつ変わっていない。それはルートが大きくなって、“子ども”ではなくなっても。

 

この親子と博士との交流が何年も何年も続いてくれたことが本当にうれしい。そこに時折は、未亡人が加わっているのがまた心をあたためてくれる。

お別れはいつか来るけれども、80分という正確なテープは壊れてしまったけれども、何度でも数式と野球を通して幸福な時間を重ねられたことが、本当にうれしい。

博士は、無意識の内に主人公やルートとの思い出を覚えているなんてことはなかった。記憶の持続時間が徐々に伸びるなんてこともなかった。奇跡は何も起こらなかった。

だからこそ、この何気なくけれど特別な時間は、物語は、一層心にすっと入ってくるんだなと思った。

何気なく手を伸ばした作品だったけれど、想像以上に、そして想像とはまったく違うところにまで光を届ける物語だった。読んで本当によかった。ありがとう。

 

余談。
登場人物達の実名が出てこないのもまた何かロマンがあるよね‼(ナゾ感想)

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